日記・予定表
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2018 5月
5月1日 GWの過ごしかた
5月1、2日と平日をはさみますが、今年は比較的眺めのGWになっていますね。
高校1年生は入学してからの疲れがたまる頃なので、体を休めながら4月の授業で分からなかったところをしっかり復習しましょう。
高校2年生は学校によってはGWの後に修学旅行があったり、定期考査があったりするので、休みだからと普段のリズムを崩さないようにしましょう。
高校3年生はこれから土日に模試を受けることが多くなるので、休日にまとまった勉強時間を取ることが難しくなります。GWなどを利用して自分に必要な勉強を早めに行いましょう。
GW中13時〜22時30分の間は塾を開けていますので、集中して勉強をしたいという人は自習室も利用して下さい。
平成30年5月1日現在の進度状況
1年生 数学T・・・「集合(数学Aも含む)」「命題」まで修了
2年生 数学U・・・「指数関数」修了、「対数関数」の基本的な計算まで修了
3年生B 「標準問題」・・・96問まで解説済
3年生V 数学V・・・「積分法」の不定積分(置換積分の基本)まで修了
5月2日 現場の危機感
ここでも少し前に書いたのですが、2022年からの新学習指導要領の数学の問題点について詳しく述べておられる先生の記事を見つけたのでリンクを貼っておきます。
以下、灘中学校・高等学校数学科教諭 河内一樹先生
の書かれた記事になります
近い将来、日本の文系の高校生はベクトルを学ばなくなる?(前編)
http://medg.jp/mt/?p=8194
近い将来、日本の文系の高校生はベクトルを学ばなくなる?(後編)
http://medg.jp/mt/?p=8196
文部科学省が募集するパブリックコメントのために書かれた文章らしいのですが、募集は既に終わっています。拡散を希望されているようなので数学教育に興味のある方は是非、一読していただきたいと思います。論点や問題点が分かりやすく書かれていて非常に素晴らしい文章になっています。
このような素晴らしい意見が寄せられたのにも関わらず、無視を決め込むというのは英語入試のスピーキングも含めていかがなものかと感じます。
教育は全ての国民に関係があることです。他人事だと思わずに問題意識を高めることが大切だと思います。
5月3日 受験勉強で育てるもの
5月1日2日と続けて教え子が訪ねてきてくれました。
5月1日に訪ねてきてくれたのは、医学部受験が残念ながら上手くいかず予備校で浪人している生徒でした。
現在の受験において医学部受験は非常に難しくなっています。彼は優秀な生徒でしたが、予備校で勉強をしていると、周りにいる人があまりにも優秀で自信を失いそうになると言っていました。そのような優秀な人たちでも合格できないことを考えると、医学部の受験がいかに難しいかが分かります。
ただ、本人にも伝えたのですが、勉強をするときに他人と比べる必要はありません。これは他の受験生にもいえることです。
友達がどの問題集をやっているとか、○○大学の過去問を解いているとか、どこの塾に行っているとか、気にしても仕方がありません。自分にとって必要なことは他の人とは異なります。
また、自分の周りにいる人に勝つことと大学に合格することは、あまり関係がありません。ときには友人と切磋琢磨することも良いかもしれませんが、受験勉強は基本的には自分自身との戦いです。
受験勉強を通じてぶれない自分を作り上げていくことが、入試本番や人生の大切な局面で力を発揮できる心の強さを育てるのだと思います。
5月4日 得意なところで勝負する
5月1日2日と続けて教え子が訪ねてきてくれました。
5月2日に訪ねてきてくれたのは、学校時代の教え子で社会人2年目を迎えた2人でした。
2人とも学生時代から優秀だったのですが、社会に出て色々なことを感じているようでした。
一人は始めから自分の能力をいかせる職場で働いていて毎日が楽しく充実しているようだったのですが、もう一人は大学卒業後に就職した職場で自分の能力がいかせなかったため、毎日が苦痛だったようです。
現在は、苦痛だった前職を辞めて自分の能力をいかせるところに再就職ができて、生き生きと働けているということだったので良かったです。
話を聞いていて思ったのは、どんなに能力が高かったとしても、自分に適したところで働かないと活躍するのは難しいということです。
勉強も同じで、得意な分野を伸ばすように心がけた方が将来の可能性が広がります。苦手なものから逃げてばかりではいけないのですが、出来る限り得意なところで勝負をした方が良い結果に繋がりやすいと思います。
自分には何が出来て、何が向いているのか、そのような自己分析が正確に出来る人は、社会に出てからも活躍できるのではないでしょうか。
5月6日 勉強の理想論
今日、ある生徒から
「先生は勉強をするのが楽しいですか?」
と尋ねられました。
私は正直勉強をするのが楽しいです。ただ、学生の頃も勉強は楽しかったのですが、大人になってからの方が勉強が楽しいと感じるようになりました。それは、勉強の質が変わったからなのかもしれません。
学生の頃の勉強は、何かが出来るようになることが楽しいという側面が強かったように思います。受験という目標があるので、努力をして得点が取れるようになることに楽しみを感じていた部分もあるように思います。
社会に出てからは、仕事で必要になる知識は勉強しなければならないのですが、それ以外にも、その時々で興味のあることを少しずつ勉強するようになりました。そうするうちに、目的を持たない勉強が本当に楽しいと感じるようになってきました。
高校生までの学生は、勉強は受験のためにやるものなのだと思っている人が多いのではないでしょうか。
勉強は本来そういうものでは無いと思うのですが、越えなくてはならないハードルが常に用意されてしまうので、そのように感じてしまっても仕方がないかもしれません。
やらなくてはならない、やらされているという意識では、勉強を楽しいと感じるのは難しいです。理想論ですが、受験の枠に捉われずに主体的に学ぶ気持ちが持てれば、勉強を楽しく感じられると思います。
高校生の時には難しくても、大学に行ってからでも、社会人になってからでも、そのような学びが出来るように、今は目の前の勉強を積み重ねていってもらいたいと思います。
5月7日 テストの目的
生徒と話をしていると「定期考査は出来るんですけど、模試は出来なくて」というような意見が出ることがあります。これはどういうことを意味しているのでしょうか。
学校の定期考査や模試は、問題を解くという点で「テスト」とまとめられますが、それぞれ目的が異なります。
定期考査は、成績をつけることが目的の試験です。
高等学校では卒業をするために必要な単位を取得しなくてはなりません。その単位を認定するために試験を行っています。
ですから、定期考査で点数を取るためには、指定した試験範囲内で、学校の授業中に教えられたことが身に付いていればいいわけです。
出題する問題は学習指導要領によりますが、それぞれの学校に所属する生徒の学習到達度を測り、順位がつけばよいので、大学入試に対応していなくても構いません。
模試は、受験者の学力を測ることを目的に実施されます。
模試は、定期考査と比べると試験を受ける母集団の数が増える上に学力層も広くなります。その中で得点差が現れるように、簡単な問題から難しい問題まで満遍なく出題する傾向にあります。
また、模試を運営しているのは企業なので、問題がおかしいと受験をしてもらえなくなる可能性があります。そのため、近年の大学入試で出題された問題や、出題されるであろう問題を研究しています。模試毎に難易度の違いや傾向はありますが、大学入試と全く異なるような問題は出題されない傾向にあります。
以上のことから、定期考査が出来て模試が出来ないという生徒は、基本的な知識が定着していなかったり、大学入試で一般的に出題される内容が身についていない可能性があります。
基本的な知識が定着していないのは本人に責任があるのですが、大学入試の出題傾向に沿った問題については本人にだけ責任があるとは言えない場合もあります。
と言うのは先日、ある進学校に通う(真面目な)生徒のノートを見ると、大学入試に頻出である内容をほとんど取り扱っていませんでした。これは一般的なケースではないかもしれませんが、起こり得ることではあります。
学校をないがしろにするのは良くありませんが、学校の指導に全てを任せるのもよくありません。
適切な指導の有無に関わらず、大学入試に対応した学力をつけるためには、自分で勉強をする意識を持つことが大切です。
5月8日 計算練習は意外と難しい
今日は修学旅行で塾に来れない生徒がいたので、高校2年生の講座は授業を進めずに復習をさせました。
少し前に学んだ指数関数の計算問題などを解かせていたのですが、生徒が計算しているところを見ていると、答が合ってはいるものの計算法則に従わずに処理をしているところがあったので訂正をしていきました。
このようなことはどの分野でも誰にでも起こりえることです。勉強は最終的には一人で出来るようにならなければなりませんが、まずは誰かに指導をしてもらわないと、やり方を間違ったまま進めてしまうというリスクがあります。
当塾では、新しい単元の導入や定着をしていないときの基礎練習は生徒が正確に理解しているかを出来る限り確認したいと思っています。
計算練習くらいは自分で出来ると思っていても、実際にはそれが出来ていない生徒が少なくありません。計算ミスや凡ミスが多いと感じる人は、計算が正確に出来ているのかを誰かに見てもらった方がいいかもしれません。
5月9日 解答のマナー
最近、生徒が問題を解いているのを見ていると
「最大値,最小値を求めよ。」という問題に対して「Max ○○ , min ○○」
のように最終的な答を記述をしている人が複数いました。
このように書いた場合、大学入試で減点されるかどうかは不明ですが、解答の書き方のマナーとしては良くないと考えているので、答えは問われた言葉で書くように指示をしています(答案の途中で図に書き込む場合などは構わないです)。
細かいと思われるかもしれませんが、日本語で聞かれた問いに対して英語で答えても良いということは、あまり知られていない他の言語で書いても良いのかという疑問が残ります。
間違いではないことであっても、解答を見る側に余計なことを考えさせることは、マナー違反だと思います。
問題を解くことだけを考えるのではなく、答え方や表現などを、どのように書くべきかまで考えられるようになってもらいたいと思います。
5月12日 パソコンの不調
2、3日更新が出来ていませんでした。
忙しかったのもあるのですが、パソコンが不調ということもありました。
最近、パソコンの電源を落とすと電源がつかなくなることがあるという恐ろしい症状が出ています。
今は立ち上がってくれているのですが、再発して二度と立ち上がらないということもあり得るので、そうなると暫く更新が出来ないと思いますが塾を辞めているわけではありません。
必要なデータはとりあえず全て保存できたので塾の運営は問題はありませんが、早めにパソコンの修理か買い替えを行いたいと思います。
そんなわけで、これから更新が暫く無いときはそのような事情だとお察し下さい。
5月13日 型は大事だけど
数学の勉強をするときに「型」は大事ですが、「型」の意味を間違って考えている人が少なからずいます。
ここで言う「型」というのは基本的な「計算の仕方」であったり頻出の「問題の解き方」のことを指します。
勉強をしていると何度も現れる計算や問題があります。そのような基礎的な内容の反復練習を繰り返していくと、そのうちに思考をあまり伴わずに反射的に答えられるようになります。
入試では、そのレベルまで習熟が進むことが理想です。しかし、「型」の練習をするときに内容を理解をしておらず、出てくれば機械的に反応するというのでは通用しません。
大学入試では、取り扱う内容が多岐に渡っており、更に、どのように考えればよいのかを見抜かれないように表現を変えているので、単純な解法の暗記では対応できないことがほとんどです。また、単純な計算問題であっても、論理的な裏づけのないまま練習をしていては少し複雑な形にされると手が出せなくなります。
中学まで優秀な成績を収めていた生徒が、高校で通用しなくなる原因はここにあるように思います。
数学の内容を教えることに加えて、数学に対する考え方や取り組み方を変える指導を行うことが必要だと感じています。
5月15日 良い天気
松山では昨日から気温が上がり暖かいを通り越して暑くなってきました。昨日運動会が開催された私立高校もあったのですが、気持ちの良い天気の中で行うことができてよかったと思います。
ただ、ここまで急に暑くなると体が暑さに慣れていないため熱中症になりやすくなります。
6月当初には県総体があるので運動部は練習が大変になってくると思いますが、体調不良のときは無理をせず水分と塩分をきちんと取るように心がけてもらいたいと思います。
気温が急に上がったからなのか、毎年塾の窓に現れるトカゲも目を覚ましたようです。こうして同じ景色を見ることで季節の移り変わりを感じます。
5月16日 1学期中間考査
今週から来週にかけて、松山市内の高校ではほとんどの学校が定期考査を行います。高校1年生は高校に入ってから始めての定期考査となります。
毎年言っているのですが、この段階で結果が良くても高校の勉強は大したことがないと思わずに、気を緩めず努力をしましょう。
現時点で出来ないこと、分からないことが多いという生徒は、かなり危険信号が灯っているので、早急に復習を行わなければなりません。学校の先生に指示を仰いだり、塾に通うことを検討した方が良いと思います。
また特殊な例として、松山東高校は2学期制の名残で市内で唯一中間考査が無く、始めての定期考査が6月後半となります。
これは、試験が少なくてラッキー、というわけでは無いので注意が必要です。
試験範囲が広くなるので大変だということもありますが、内容が定着していないことに気づくのが遅くなる危険性もあります。
高校の内容は難しい上に進むのが早いため、一度分からなくなるとついていける状態に戻すのが困難です。
後でまとめてやればいいというやり方は通用しないので、試験ギリギリになって焦らないように日々の学習に取り組んで下さい。
5月17日 責任
日本大学アメフト部の反則行為のニュースが連日報道されています。
知らない方はあまりいないと思いますが、概要を書くと
アメフトの試合中に、日本大学のある選手が相手チームの司令塔に背後からタックルを仕掛けました。ボールを持っていない選手へのタックルは反則なので、ボールを持っていなかった司令塔の選手は気を抜いていて、全く意図しないタイミングで体制を崩されたため全治3週間の怪我を負いました。この反則をした選手は、このプレーの後も反則を繰り返したため退場になりました。退場になった後に監督やコーチから指導をされている様子がなかったのですが、どうやら監督からの指示で反則行為を行ったということが分かりました。
まだ、正確な経緯は分かりませんが、報道によると監督はこの選手に対して
「試合に出たかったら相手を潰しにいけ」「責任は俺が取る」
などと言っていたそうです。
仮にこれが事実であったとすれば監督はもちろん処罰されるべきです。しかし、指示をされたからといって、このような行為を行った選手の責任が軽くなるわけではありません。
私が今回の報道で一番気になったことは「責任は俺が取る」という言葉です。責任を取るというのは具体的に何をすることなのでしょうか。
このプレーの結果、相手の選手が半身不随になったり命を落としていた場合、監督が指示をしたのが悪いから実行した自分は全く悪くないとでも言うのでしょうか。仮に、死んでいたとしたら自分の手で人を殺したという十字架を一生背負って生きていかなければならなかったわけです。そこまで考えて行為に及んだのでしょうか。試合に出たかったとしても、間違った行為を強要されたのならば断るべきでした。
そういうことを考えると、とある学校の指導も似たようなものがあるというように感じます。
どことは言いませんが、生徒を放課後、強制的に拘束して自習をさせている学校があります。塾があると言っても、塾に行くのと学校で自習をするのとどちらが大切なのかを生徒に詰問して、塾に行くと言うと、今後学校では教科の面倒を見ないなどと脅しをかけることもあるようです。(全ての先生ではありませんが、そのような指導をする先生がいるようです)
相手の自由意志に対して、脅迫によって行動を変えさせようとするのは間違っていると思います。
学校の成績をつけたり調査書などを書く先生の言うことを聞かないというのは、不利益を被る可能性があるので、従わざるをえないと考えてしまう生徒も少なくありません。
しかし、考えてもらいたいのは、学校や塾の先生、更に親であったとしても、自分の人生の責任を取ることは出来ません。周りの人の言うことを全て聞いていたら自動的に人生が幸せなものになるわけではありません。
自分で考えて行動をして、自分の進むべき道が見えてきます。自分の人生の責任を取れるのは自分自身だけです。
5月19日 和して同ぜず
「受験は団体戦だ」と言う人がいますが、私はこの言葉があまり好きではありません。この言葉自体は間違っていないと思うのですが、意味を正確に理解していない人が多いからです。
先日の日記にも書きましたが、学校の先生の中には「受験は団体戦だから、クラス全員が放課後に教室で自習をしなくてはいけない。自分の都合で帰る人がいては他の人の迷惑になる。」と言う人がいます。これは「受験は団体戦」という言葉の意味を理解せずに使用しているように思います。
論語に「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。」という一説があります。
この言葉の意味は「人格者は自己の主体性を保ちながら他者と協調するが、つまらない人間は自己の主体性をもたず他者と同調する。」ということです。
生徒各自で受験の最終的な目標も違えば、現在やらなければいけないことも異なります。生徒の状況を個別に考えずに、同じ空間で同じ時間を過ごすことを強制するというのは「同」を要求しているということではないでしょうか。
「受験は団体戦」というのは、周りに大学受験をする人がおらず一人だけで受験勉強を続けるのが大変であったり、推薦などで先に合格した人が周りの気持ちを考えずに振舞ったり、クラスの生徒がほとんど宿題をしてこずに授業の進度が遅くなってしまったりと、そういった他者から受ける影響のことです。
同じ空間で強制的に自習をさせたとしても、やる気がない人はボーっとして勉強しませんし、やる気がある人は他人が帰ろうが関係なく勉強します。自習をするための環境を用意してくれることはありがたいことですが、それを強制するのはありがた迷惑です。
学校だけに限らず、集団の中で生きていくときに大切なことは「和して同ぜず」という姿勢です。全てのことに同調するのではなく、個別の事象に応じて是々非々で考えられる人間になってもらいたいと思います。
5月20日 人生の主導権
ニュースを見ていると次のような記事を見つけました。
自分の人生の主導権を握ろう 嬉野雅道
私の好きな番組「水曜どうでしょう」の嬉野Dが、いじめや人生観について語っているのですが共感できることが多かったです。
上記の記事に書いてあったことで「自分をいじめた人間と仲良くなりたいと思ってはいけない」という言葉は真理をついていると感じました。
学校に通っているときも、社会に出てからも、人間関係は常についてまわるものです。人は一人では生きていけませんからどうしても他者と関わらないといけないのですが、他者に自分の行動や幸せを委ねる状態になっていることは適切ではありません。
間違ってはいけないのは、自分のやりたいことを全て思い通りにしたいというのはわがままなだけです。妥協をしないといけないこともあります。他者と協調できるところはした上で、自分にとって譲れないものを守る気持ちを持つことが大切だと思います。
5月22日 責任の取り方
日本大学アメフト部の加害選手が顔と名前を晒して会見を行いました。
冒頭で謝罪をして文書を読み上げた後、自分の言葉で質問に丁寧に答えていました。会見を見ていると、質問をしている記者の方が悪く見えるほど誠実に対応をしていたように感じます。
刑事責任がどうなるのかは分かりませんが、この会見を見た人であれば、これ以上彼のことを個人的に責める必要はないだろうと考えるのではないでしょうか。
やってしまったことは取り返しがつかなくても、その後にどのような行動を取るかで人間の価値は決まるように思います。今回の件では、本当のことを言い自分の擁護をしないことで彼は責任を取ったのだと思います。
それと比べると、彼の態度が誠実だっただけに大学や指導者側の態度が、より不誠実にうつります。個人的には、このような体質を変えられる可能性が無い部活は廃部にするしかないと思います。
ただ、ここまでの経緯を見ていると恐らく大学も指導者も自ら責任を取るつもりは無いでしょう。周りの力で強制的に責任を取らされたときが最もダメージが大きいとは思うのですが、誠実ではない人にはそれが分からないと思います。
5月23日 分からない問題の取り組み方
大学受験に向けて数学を勉強していく上で、基礎的な内容が身につけば挑戦する問題のレベルを上げていく必要があるのですが、少し複雑な問題を出題すると手が止まってしまう生徒は少なくありません。
そういう状態の生徒を見ていると思考が停止しているように感じるのですが、そういうときに何をするべきなのでしょうか。
まずは、与えられている条件を「理解して」「書き出す」ことです。問題文を眺めているだけでは解くための取っ掛かりが作れません。与えられた式や文字の条件や図形を書くことで、状況が見えてくることがあります。
次に、何をしていいのか分からないときは何を求める問題なのかを確認してみましょう。複雑な問題は何を求めればよいのかが分かりにくいことも多いです。このような問題に対応するためには、普段から何を求めさせられていて、何故求めることが出来るのかを自分の言葉で理解する習慣をつけておくと良いと思います。
また、とにかく手を動かして式を変形してみるということも大切です。後は計算をするだけという状態になれば見通しを立てて計算をしていくべきですが、何をしていいのかも分からない段階では、とりあえず式を色々と変形してみることは有効です。
指導をしていると正しい方向以外へは進みたくないという生徒が少なくありません。実際、生徒から多い質問が「この計算をしたら問題は解けますか」という類のものだったりします。大学入試本番でそんなことを聞くことは出来ないわけですから、質問する前に手を動かしてもらいたいと思います。
分からない問題が解けるようになるためには、まずは自分で考えて動いてみるということが最も大切なことのように思います。
5月24日 6月の予定表
6月の予定表をTOPページにアップしました。
6月は県総体や四国総体があるので運動部に所属している高校3年生には節目となる月だと思います。
ここまで部活動を続けてきた生徒は最後まで活動をやりきれば良いと思いますが、部活動を引退した後は開放感に浸らず、直ぐに受験勉強を頑張りましょう。
ここまで部活動をしてきた人は、現時点の成績では目標の大学に合格できそうに無いという人も多いでしょう。出遅れた分を巻き返せるかどうかは、これからの行動にかかっています。
最後まで部活動を頑張った人が成績が伸びると言われるのは、運動を続けたことで体力と根性がついているということが一因だと思います。長時間、勉強を続けて行うのは体力が必要になりますし、精神的な強さも求められます。
大学受験は総合力ですから、部活動で得た体力も活かして最後まで頑張りましょう。
5月26日 調整
各学校の定期考査が終わりテストが返却されてきています。当塾では、返却された試験は全科目持ってくるように指示しています。
数学以外の科目でも学校の試験問題がどのようなものか、また、どのように取り組んでいるかを確認します。定期考査の結果だけで実力が分かるわけではないのですが、模試の結果や普段の姿勢など総合的に判断して、進路の話をするときの参考にしています。
ただし、直接指導をしている数学を含めて試験の点数自体はあまり気にしていません。それは学校によって試験問題の質や、生徒各自で到達度が異なるので点数だけを考えても仕方がないからです。
では、定期考査の答案で何を気にしているかというと、基礎的な内容の定着と取り組む姿勢です。基本的な公式が身についているか。計算がきちんと法則に則って実行できているか。問題の解き方だけを覚えて対処しようとしていないかなど、正しく勉強が出来ているのかをチェックしています。
このような試験の結果に加えて、授業中や問題を解いているときの反応を確認して、与える課題や指導内容を微調整していきます。
試験が終わってもテストを持ってこない人がまれにいますが、そういう人は調整を放棄していることになりますし、進路の話をすることが出来ません。
何度かはこちらから持ってくるように言いますが言い続けることはしません。それは忘れているわけではなく、持ってくる気が無いと判断しているからです。
成績の良し悪しに関わらず、そのような生徒は学力が伸びにくい傾向があるように思います。
5月27日 直接指導の利点
先日の日記に、生徒の様子を見て指導内容を調整するということを書きました。それは、例えば同じ教材を使っていても状況によって指導の仕方は全く変わるということです。
最近、途中入塾や復習などもあり、ベクトルの授業を3つの講座で行っています。内容は同じなので全部まとめてやれば良いように思えますが、生徒の状況が違うので別々に行っています。
1つは、始めてベクトルを習う生徒のための講座。
1つは、1度習っているけれど、部分的に復習が必要な生徒の講座。
1つは、1度習っているけれど、全般的に復習が必要な生徒の講座。
となっています。
全般的に復習が必要な生徒の講座では全ての内容をやり直すので、始めてベクトルを習う生徒と一緒にやっても良さそうな感じもします。しかし、内容的には同じであっても初学者はとにかく概念的な理解が出来ているのかを確認しながら進めないといけないので一緒には出来ません。
3つの講座とも使っている教材は同じなのですが、説明の仕方や授業のスピード、生徒への問いかける内容など、全く違う授業となります。
基本的な授業で同じ教材を用いても生徒の状況によって授業の進め方は変わりますが、これに加えて、受験期には受験する予定の大学や分野による得手不得手などで取り扱う教材も変わってきます。
こうしたところが、映像授業では行えない直接指導の利点だと考えています。
5月29日 なぜダメなのかを考える
先日ある生徒から、自習で解いていた問題の答が合わないのでどこが間違っているのか教えて欲しいと質問を受けました。このように「どこが間違っているのか」というのは良い質問の仕方だと思います。
その生徒の解答を見てみると、その問題では使えない条件を用いて解いていたので、なぜその条件を用いることが出来ないのかを説明すると、理解して納得した様子でした。
数学が出来るようになるためには「正しい解き方を覚える」だけではなく「なぜこのようになるのか」を考えることが大切です。
練習をするときに間違えても良いのですが、間違いを繰り返さないために「何がダメなのか」を理解しなくてはなりません。
このような勉強の仕方は非常に時間がかかりますが、この生徒のように手間をかけて学んでいくことで本物の力がついていくのだと思います。
5月30日 伝わるように話す
生徒に数学の答案を記述させると、数式だけを書いて答を出して終わりにしていることが良くあります。
中学校までの答案はそれで許されることもあるのですが(それで良いということではありません)、大学入試の数学の試験ではそのような答案は評価されない可能性があります。
中学校までの数学と高校からの数学で最も大きな違いは、答を出すだけではなく理由を相手(採点者)に説明しないといけないということかもしれません。
こうした能力は数学の勉強だけで得られるものではなく、普段の行動から獲得されるものだと思います。
例えば、日常会話を文章ではなく単語で話しているような人は、勉強全般の伸びがイマイチなように感じます。
気心の知れた仲であれば単語で話しても意味は通じるかもしれませんが、万人に通じるわけではありません。
主語と述語を意識して、因果関係が明確になるような会話をするように心がけると、総合的な学力がついてくるかもしれません。