日記・予定表
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2019 5月
5月1日 平成にありがとう
今日の授業中に生徒が
「テレビとかで言ってますけど、平成にありがとうって言うのは何かおかしくないですか?」
と言っていました。
確かに平成は人でもないですし、何か形があるわけでもありません。そして、平成が私たちに何かをしてくれたというわけではありません。
平成という時代に感謝をするということなのかもしれませんが、そのように明確な定義をしなくても、日本人は何にでも感謝をする民族性を持っているので、慣れ親しんだ平成にありがとうと言っていると考えてもおかしくないような気もします。
他には
「なんだか世間はお正月みたいですね」
と言う生徒もいました。
人は入学式や成人式、結婚式に葬式と、節目を作ることで気持ちをリセットして生きていくのだと思います。
正月は1年に1度ですが、元号が変わるのは30年振りのことなので、そのように考えるとものすごく大きな節目になります。
新しい時代の幕開けを感じることで、これまでの時代に感謝をして、これからの時代を頑張って生きていこうという気持ちが沸いてきますね。
5月3日 進度状況
GWも前半が終わり、後半に入っています。
前半は授業がそれほど多くなかったのですが、後半は多めに入れています。
休日が例年より多くても、それによって大学入試の試験範囲が変わるわけではありません。
休日が多いと学校では授業回数が少なくなるので、1回あたりの授業の進度は早くなるかもしれません。
そのように考えると、例年以上に自分で勉強をしっかりと行わなければなりません。
当塾は、平日、休日に関係なく授業を行うので暦による授業進度のブレはあまりありません。
それよりも授業進度が変わる要因としては、生徒の理解力にあります。
分かっていないのに無視して進めることも無ければ、分かっているのにゆっくり進めるということもありません。
生徒の様子を見て最も適切な速度で授業を行うように調整しています。
令和元年5月3日現在の進度状況
1年生 数学T・・・「2次関数」の最大値・最小値まで修了
2年生 数学U・・・「三角関数」修了
3年生B 「標準問題」・・・105問まで解説済
3年生V 数学V・・・「積分法」の定積分(置換積分の基本)まで修了
5月4日 英語が必要?
ニュースを見ていたら、日本フェンシング協会が日本代表の選考で、フェンシングの実力が日本で1番だったとしても、民間の英語試験で基準の点数が取れない者は代表に選ばないと発表していました。
擁護する声として、国際大会では抗議をするときに英語が出来ないと対応が出来ないからなどという意見もありましたが、それは本末転倒でしょう。
実力のある選手に英語力をつけさせれば良いだけの話で、英語が出来ないから競技の実力が1番でも落選させるというのは、競技を衰退させるだけだと思います。
何故このような事態になっているのかというと、日本フェンシング協会のスポンサーに選手に受けさせる英語の試験を行う企業がいるからだろうということは、少し調べれば分かります。
今回の件はスポンサーからの意向なのか、協会が勝手にやっているのかは分かりませんが、このような関わり方をしていては、スポンサーの印象が悪くなるだけのように思います。
5月5日 英語は必要かもしれないけれど
昨日の日記で、英語の試験を合格出来ないとフェンシングの日本代表に選ばれないということを書きましたが、これと同じことが大学入試でも起ころうとしています。
英語は以前から入試科目にもあるので、民間試験を導入してもこれまでとそれほど変わらないのではないかと思う人もいるかもしれません。
これまでの入試との最大の違いは、民間の英語の試験(スピーキング、リスニングを主体としたもの)で一定以上の点数を取らなければ、大学に出願をする資格が得られなくなるという点です(加点扱いにする大学もあります)。
現在、東京大学を始めとして慎重な姿勢を取っている大学が比較的多く、民間試験のスコアを出願資格に課さないとしていますが、国公立大学の中には出願資格として提出を必須にすると発表しているところもあります。
これまで大学入試は総合得点によって合否判定が行われてきました。
それがこれからは、どれだけ英語以外の科目が優秀であったとしても、英語でのコミュニケーションが苦手な生徒は受験が出来なくなる可能性があるのです。
ちなみに、耳の不自由な生徒や、話すのが苦手な吃音の生徒に対する対応は現在のところ何も発表されていません。大学によってはこれから考えるなどと言っているところもありますが、考えてから発表するべきでしょう。
こうした異常な事態は、ある民間企業が英語の試験をどうにか受けさせたいと考えて文部科学省に働きかけていることが根本にあるのではないのかと思います。
一企業の利益のために国民全体が不利益を被ることが無いように、こうしたことを多くの人が知り議論をすることが大切ではないでしょうか。
5月6日 もう少しだけ民間試験の話
昨日の日記に書き忘れたことがあったので、もう少しだけこの話題について。
現在の高校2年生から大学受験は新しい方式になります。
大学によっては英語の民間試験のスコアが出願資格になるので、他の科目が優秀でも出願ができなくなる可能性があるという話でした。
この話には続きがあり、出願資格として用いるとしている大学のほとんどは、本来その大学に合格する生徒であれば、ほぼ確実にクリアできるであろうレベルのスコアを出願条件にしています。
つまり、民間試験が理由で出願が出来ないという生徒はあまり発生しない状況になることが予想されます。
それなら、そもそも民間試験を出願資格にする必要が無いのではないでしょうか。
これから言えることは、民間試験を受けることが出願資格を購入することと同義になるので、大学受験の受験料が上乗せされることと変わりません。大学が民間企業に利益誘導しているとも言えます。
都会に住んでいる生徒ならまだいいですが、地方に住んでいる生徒は、場所によっては交通費や宿泊費も必要になります。更に、複数回受けるとなれば負担はかなり大きくなります。
私が憤りを感じているのは、こうした実情を分かっているはずなのに、反対の声を上げずに出願資格にしている国公立大学が存在しているからです。
物事をきちんと考えられる優秀な生徒は、そのような大学を避ける可能性もあるのではないでしょうか。
5月7日 もう少しだけ大学入試改革の話
大学入試の制度変更の話をもう少しだけ。
英語の民間試験を導入することは反対意見も多く、大学の教授からも見直しを求めている声が多く出ています。
センター試験の後継となる予定の共通テストに関しては、危惧する声はあっても、大学からはあまり反対の意見は聞かれないように思います。しかし、内容を見てみるとこちらもヒドイ状況になっています。
センター試験と共通テストの最大の違いは、国語と数学に記述式の問題を課すことです。
センター試験のように選択肢から選ぶだけだと、思考力が測れないというのが理由のようですが、これまでも数学に関しては選択肢から選ぶ問題もあれば、数値を書き入れる問題もあったため、普通に問題を解かなければならず思考力が測れていないということは無かったように思います。
共通テストに移行するために、現役生を対象に試行調査が何度か行われているのですが、数学の記述問題では正答率が低く1%〜3%しか解けないような問題が見受けられました。
これは、思考力の有無ではなく、記述にすることで、ほぼ正解であっても日本語が不十分であったり、記号の使い方が一般的ではないものなどを全て不正解にした結果です。
ちなみに、ほぼ正解の答案でも基準に満たなければ、白紙の生徒と同様に0点にとして扱われてしまいます。
この原因は、大量の答案を同じ採点者がチェックできるわけではないので、どこかで線引きをしなければならないからです。
部分点を発生させてしまうと、チェックの数が膨大にのぼり、時間効率を考えると採点が不可能になるからだと考えられます。
その結果、最後の試行調査で出題された記述問題3問のうち、1問は次のような問題になりました。
問 「1のみを要素にもつ集合は集合Aの部分集合である」という命題を、記号を用いて表せ。
答 {1}С A
果たしてこれを記述で書かせることで思考力が測れるのでしょうか。そして、膨大な人件費を使って手作業で採点させる意味がある問題なのでしょうか。
採点をするのが大変なので、採点をしやすい問題を出題するというのであれば、マーク方式で良いでしょう。
そもそも、50万人以上の受験生が受ける試験を手作業で採点しようとすることが非効率だとしか言いようがありません。
大学入試がいかにおかしな方向に進んでいるかを多くの人に知ってもらいたいと思います。
5月8日 これもやめて欲しい
これが最後になるのですが、大学入試改革についてもう一つやめてもらいたいことがあります。
それは高校生活の活動内容の調査書を点数化するというものです。
現在、大学の一般入試では入試の点数のみで合否判定がなされており、調査書は高校の卒業資格が満たされているのかの確認でしかありません。
もちろん、今でもAO入試や推薦入試では調査書が評価の対象になることはあります。それに異議を唱えるつもりはありません。勉強だけでなく、様々な活動を行っている生徒を入学させることは多様性の確保からも必要なことだと思います。
それが、これからは一般入試でも部活動やボランティアなどの活動を点数化するという動きがあります。これには反対です。
まず、全日制の高校に通っていない生徒の対応はどうするのかということがあります。大学受験をする生徒の中には、通信制の高校や、学校に通わずに高校卒業程度認定試験に合格して大学を受験する者もいます。
これらの生徒は部活動はしていないことが多いでしょうし、校内活動を記述することが出来ません。調査書を点数化したときに不利になることが明らかです。
大学受験は試験の点数のみで合否が決まることで公平性が担保されているのであり、それまでの活動で合否が決まるのは不公平です。
また、こうしてボランティアなどが点数化されるとなると、やりたくなくてもボランティアに参加せざるを得ないということになりかねません。その結果、高校3年生の受験期に余計なことに時間を取られてしまう可能性が出てきます。
もちろん、身近で大きな災害が発生したときには、受験期であっても自発的にボランティアに参加する人はいるでしょう。しかし、平時に受験の点数を稼ぐという動機で参加するボランティアにどれほどの意味があるでしょうか。
これは個人的な話になりますが、本気で目の前のことに取り組んでいる場合、ボランティアまで手が回らないことはあるように思います。
私が学校で講師をしながら教員の正採用を目指していた時に、教員採用試験でボランティアの活動を書く欄がありました。
私は何度も教員採用試験を受けましたが、毎年その欄は「なし」と書いて提出をしました。
というのは、講師であっても、目の前の生徒のために授業の準備や放課後の指導などをしていれば、毎日帰るのは20〜21時になりますし、土日も出勤するのが当たり前なのでボランティアをする余裕が無いからです。
放課後や土日の指導は無給なのでボランティアなのですが、それはボランティアの欄には書けないボランティアなのです。
高校生でも、日々の活動というのは、調査書に書けることもあれば書けないこともあります。
目に見えて分かることだけを点数化してしまうと、点数になることばかりを行い、本当に大切なことを行わないようにしてしまう危険性があるのではないかと思います。
学生の多様性や、自主的な活動が本当に大切なのであれば、調査書を点数化しない方が良いのではないでしょうか。
5月11日 逆に新鮮
連日、授業後に指導や来客があり、こちらに手が回らなくなっています。
出来る限り日々感じたことなどを残しておきたいとは思っていますが、無理のない範囲で更新していきます。
最近のことですが、今春に大学に合格した生徒がGWの帰省で顔を出してくれたり、得点開示のデータを送ってくれたりしたのですが、近況を葉書で送ってくれた生徒もいました。
今の時代は自筆の葉書がとても新鮮に感じます。こうした習慣のある人は社会に出てから重宝されるかもしれません。
みんなの出来ることを出来るようになることは大切かもしれませんが、人と違うことを出来ることが、その人の武器になるように思います。
5月12日 帰納と演繹
物事の法則を見つけようとするとき、「帰納」的な考え方と「演繹」的な考え方があります。
「帰納」とは、具体的な事象の中から法則を見つけること。
「演繹」とは、論理を積み上げて法則を導くこと。
です。
問題によっては解く過程で帰納的に考えることがあるかもしれませんが、数学は演繹的な学問なので答案は演繹的に表現しなくてはなりません。
生徒が問題を解いているところを確認すると、結果を推測して書いてしまっていることや、具体的な数を当てはめて全ての場合に成り立つかのように書いてしまっていることがあります。
それでは解答として成立していないのですが、答えが合っていることもあるのでダメだということに気がつかない場合があります。
何が良くて何がダメかというのは、ある程度の数学の力があり、更に経験を積まなくては判断が難しいと思います。
高校3年生はこれから入試に向けて問題を解くだけではなく、解答の添削をしてもらうことで、自分で表現の良し悪しを判断できるようになれば、一段と数学の力がついてくると思います。
5月13日 リテラシー
ニュースを見ていたら、教員採用試験の受験者が5年連続減少しているという記事を見つけました。
読んでみると、教員の長時間労働が社会問題となったことが原因ではないかというような内容でした。
実際にはそれだけではなく、ここ数年は景気が良かったので一般企業の採用数が多かったという事情もあると思います。
それは別にいいのですが、気になったのはその記事に載っていた以下の表です。
これを見て、どのような印象を受けますか?
素直な人は「5年間で教員採用試験を受ける人が半分以下に減っている!」と思ってしまうかもしれません。
しかし、実際には15万人から下が表示されていないので、5年間での減少率は11%程度です。
確かに減少しているのですが、それを必要以上に大きく見せようとする意図がこの表から読み取れます。
情報を発信するメディアはこうしたデータや映像の切り取りを平気で行います。
メディア以外のネットの情報や、周りの人が話す言葉であっても、私たちが接する情報は物事をある一面から見ただけの意見を言っていることが非常に多いです。
騙されないためには、全てそのまま信じるのではなく、自分で考えて判断が出来るようにならなければなりません。
何も知らないのに、私はこう思うというのは、ただの思い込みです。
色々なことを知っていても、それを活用できなければ、ただ知っているだけです。
知識を身につけた上で、論理的に物事を考えることが出来て初めて様々な判断が可能になります。
そうした能力を身につけることが勉強をする目的だと思います。
5月14日 人間教育
ニュースを見ていると、マルチ商法の被害に会う大学生が急増していて、全年代の相談件数のうち40%が20代だそうです。
私が大学生のときにもマルチ商法にはまる同級生はいましたし、お金を騙し取られた友人もいました。いつの時代も濡れ手に粟を目指していると痛い目に見るということだと思います。
こうした詐欺に関しては事前に知識があれば防げることも多いように思います。
残念ながら社会には悪い人もいます。そうした前提に立って、詐欺被害に合わないための学習は必修化した方が良いのではないかと思います。
更に言えば成績はつけなくても良いので「国家について」「人生哲学について」「税金について」なども必修化した方が良いように思います。
学校は教科の勉強を学ぶだけではなく、社会の一員としての人間教育を行う場所であって欲しいと思います。
5月15日 基礎の復習
しつこく言っていますが、勉強で大切なのはとにかく基礎の定着です。
4月前半からGWにかけて先に進めることを優先して授業をしてきましたが、生徒の様子を見ていると息切れを起こしかけているように感じます。
指導する側としては基礎的な練習は各自でやっておいて欲しいと思うのですが、それを実行してくれる生徒はあまりいません。
指示を出したとしても実行しない生徒がいるのは確かですが、昔と比べて学校の課題や補習が増えているので、復習まで手が回らない場合もあります。
そのような理由から、授業中に復習をする時間を確保して基礎の定着をさせようとすることがあります。
当塾は月当たりの授業時間が多いのですが、解説だけではなく復習や演習の時間を確保したいというのも理由の一つです。
5月16日 対処の違い
今日、ある生徒を指導しているときのことです。
学校の考査範囲で、問題の解説を見てもどうしてこのようになるのか分かりません、と質問をされました。
その解説を読んでみると、確かになぜそのようになるのか説明が書いてありません。
細かい内容は難しすぎるのでここには書きませんが、指導者から見ると知識として知っていることではあるのですが、教科書などに載っていることではないので生徒はおそらく知らないようなことでした。
確かに覚えておくと早いのですが、覚えても使える局面はあまり無いように思ったので、その問いに関しては、知識として覚えるのではなく手間がかかっても計算をして導くように指示しました。
次の質問は、この証明は絶対に出すと言われたのですが意味が分かりません、というものでした。
その証明を見てみると、大学の内容が含まれており、高校の範囲では証明が困難な問題でした。
その問いに関しては、解説が厳密な処理をごまかしていたので、内容が理解できるところまでは計算をして、後は覚えておけば良いと指示をしました。
数学において全ての内容を理解することは理想ですが、高校で学習する数学Vは教科書でも(大学の内容が含まれるので)厳密な証明をごまかしていることもあります。
興味がある人は大学の教科書などを見てみてもいいですが、ほとんどの生徒はそこまでやるのは不可能だと思います。
その辺りをバランスよく伝えることも指導者には必要だと思います。
5月18日 知識があると違って見える
最近、子供が仮面ライダーにハマっています。
現在やっている仮面ライダーは、平成に出てきた仮面ライダーが総出演するようなストーリーなのでこれまでの復習にもなるような作品です。
私が子供のときは仮面ライダーやウルトラマンなど特撮物に大して興味が無かったので見ていませんでした。
今もそれほど興味は無いのですが、子供なりに色々と披露してくるので、自然とこちらの知識も増えていきます。
それで、最近気づいたのですが世の中には仮面ライダーのグッズが多く、生徒も意外と持っているということです。
この生徒の持っている仮面ライダーは○○だなあ、などと以前は何も思わなかったものが認識できるようになってきました。
仮面ライダーの名前を憶えても何かの役に立つことは無いでしょうが、どのようなことでも知識が増えれば今までと違った見え方をしてくるように思います。
現在、勉強をしていることで直接意味を感じられないようなことでも、気づかないうちに自分自身の世界を広げているのかもしれません。
5月19日 指導者と生徒のズレ
長年生徒を指導していると、知識が蓄積していくので指導者の学力(問題を解く能力)は向上していきます。
しかし、指導力(生徒の学力を伸ばす能力)は、常に意識をしていないと向上していかないように思います。
気をつけないといけないのは、指導者の知識が増えても、教える生徒は毎年新しくなるので常に0からの状況だということです。
何度も説明しているうちに、以前は難しいと感じていた問題が簡単に感じてくることがあるので、指導者の経験が増えるほど、初めて学ぶ生徒が感じている難易度とズレが生じる可能性があります。
また、指導をする人はその教科が得意なわけですから、普通の生徒とはそもそも始めから感覚のズレが生じています。
指導力がある先生というのは、そのズレを意識して生徒の状態を把握しながら修正していくことが出来る人ではないのかと思います。
難しい問題を説明したり、厳密な論理で説明することは大切かもしれませんが、それよりも大切なことは、生徒が段階を踏んで成長していけるように調整をする意識だと考えています。
5月21日 点と線
当塾では生徒を指導するときに、教科書の順番通りに教えないことがあります。
また、復習をさせるときにプリント渡しますが、問題集に載っている問題を削ったり、問題数が少ないものは追加したり調整をしています。
こうした作業を細かく行っているのは、勉強を線で見ているからです。
教科書に載っていることを順番通りに教えても、変えて教えても最終的には全ての内容を取り扱います。では、どの順番に学習をしても同じかというと、そうではないと考えています。
教科書が全てダメというわけではないのですが、理解が深まってから取り組んだ方が良い内容や、まとめて学んでおいた方が理解が深まるだろうという内容が順番通りになっていないことがあります。
指導する側が少し工夫するだけで、理解までに要する時間が変わってくるように思います。
また、当塾では演習に教科書傍用の問題集を用いて、ほぼ全ての問題を一回は解くようにしていますが、単元毎の復習では優先して解くべき問題をまとめたプリントを渡しています。
数学が苦手な生徒はどこが重要なのかを判断しづらいので復習をするときに全ての問題をやり直そうとしてしまいがちです。
もちろん全ての問題が解けるようになった方が良いのですが、先に身につければ全体の見通しが良くなったり、他の単元との関係で絶対に必要な内容から先に取組む方が勉強の効率が上がります。
授業でも復習でも一つ一つを見てみれば同じ内容を取り扱っていても、関連性や流れを意識することで効率が随分と変わります。
全体を知らない状態の生徒はこのような視点で勉強を捉えられないので、指導者の手助けが必要になる部分だと思います。
5月22日 実戦向きの手法
現在、定期考査中の学校があるので、授業は復習をしたり生徒からの質問を受け付ける期間にしています。
質問をする生徒は一度自分で問題を解き、参考書の解答などと照らし合わせて、この部分が分かりませんと聞いてきます。
その時に、分からないと言っている部分のみを説明することもありますが、全く違う解法を1から説明することもあります。
全てではありませんが、参考書などの解答は答えまで最短で辿り着く解法を書いてあることが多いように思います。
それはシンプルで素晴らしいのですが、自分の力で思いついて再現できるかというと難しいのではないかと感じる場合もあります。
生徒の力量も考えて、計算量が増えたとしても出来るだけ自然に思いつく解法を説明することを心がけています。
素晴らしい解法を覚えるよりも、地道でも自分で使える手法を身につける方が、実戦では役に立ちます。
定期考査でも大学受験でも、こういう姿勢で勉強をすることが大切だと思います。
5月23日 夏までが勝負
高校1年生の授業が2次関数の後半に入ってきました。
この2次関数を理解できるかどうかが高校数学全体に影響を及ぼします。
多くの生徒がこの分野を理解出来ていない、または、何となく理解出来たつもりになっているため、数学が分からなくなってしまいます。
何度も言っていますが、高校数学がモノになるかどうかは高校1年生の夏までに決まります。
ただ問題が解ければ良いということではなく、何故そうなるのか、何故このような解き方をするのかを理解しなくてはなりません。
4月から相当しつこく言ってきたことの1つに
「方程式・不等式を解くとはどういうことか?」というものがあります。
最近は生徒に聞くと、また聞いてきたなという顔で答えてくれるようになってきました。
こうした根本的なことをしっかりと身につけることが、後々大きな差となります。
5月25日 6月の予定表
6月の予定表をTOPページにアップしました。
6月は県総体や四国総体があるので、運動部に所属している高校3年生は、活動の節目となる場合が多いのではないでしょうか。
最後まで部活動を頑張った人は成績が伸びると言われることがありますが、それは体力と根性がついていることが一因だと思います。
ただし、伸びる生徒は基礎学力がついていることが最低条件です。部活動が終わってから、全ての内容を基礎からやり直していたのでは大学入試に間に合いません。
忙しい部活動に入っていて大学進学を考えている高校1、2年生は、基礎基本の内容を適宜復習するように心がけておくと引退後の学力の伸びが変わってくるので、是非そうして下さい。
6月以降は、高校3年生の部活動が無くなるため講座時間の変更を行いたいと考えています。
各自の予定を聞いて日程を組んでいきますが、都合が悪い人も出てきそうなので色々と相談をさせていただくことがありそうです。
ご迷惑をかけますが、ご協力をよろしくお願いします。
5月26日 根本的な部分の指導
最近の授業では復習に時間を使っていて、生徒に問題を解かせて色々なことを確認しています。
色々なことというのは、問題の解き方や答え合わせの仕方、また勉強へ取り組み方などです。
生徒のノートを見ていると、答合わせをして答が間違っているのに〇をつけているなんてこともありますし、答があっていても途中が間違っていることもあるので、そういうときには指摘をします。
また、どうしても計算が合いませんと生徒から言ってきて、間違っているところを一緒に探すこともあります。
計算が合わない原因には、書き間違いや写し間違いから、根本的な計算処理の間違いなど様々なものがあります。
今日もそのような場面があったのですが、計算が合わない原因は途中式をきちんと書いていないというものでした。
そこそこ長い計算を要する問題だったのですが、ノートの端に雑に計算していたので、どうなっているのか本人も不明な状況でした。
その生徒にも言いましたが、高校数学では途中式や説明の言葉を面倒くさがらずに書かないといけません。
大学入試の記述問題では結果よりも過程が重視されます。基礎練習や計算だからと言って手を抜かずに、普段から本番と同じように書くべきです。
こういうことをしつこく注意するのですが、これまでに身についた癖や性格もあるのか中々出来るようになりません。いくら言っても雑に書く生徒は経験上伸び悩むことが多いです。
練習をするときには、こういう根本的な部分を意識して修正してもらいたいと思います。
5月28日 学校と塾の違い
学校と塾は同じ教育機関でありながら様々なことが異なります。
最大の違いは、卒業したときに資格が得られるか否かというところです。
高校、大学は卒業をすれば高卒、大卒という資格が得られます。そのため、出席日数や単位認定など卒業するために様々なルールが決まっています。
これと比べて塾は卒業しても資格を得ることは出来ませんから、出席しないといけないわけではありませんし、単位認定のために考査を行うこともありません。
その次の違いは、教育指導要領に従うか否かというところです。
学校は公立私立を問わず、ある程度の枠の中で指導を行う必要があります。週の授業時間数は決まっていますし、カリキュラムで出来ることに制限があります。
塾は、特にルールが決まっていませんからどのようなカリキュラムを組もうとも自由です。とは言っても通常の授業の進め方は学校とそれほど大きくは変わりません。
違いが出てくるとすれば、学校の授業が退屈な生徒や、学校の授業についていけない生徒を指導するときです。受験に照準を当てればよいので、全体を気にせずに個別に指導を行うことが出来ます。
以上が大きな違いだと思いますが、個人的に違うと思っていることの中に通う目的が明確かどうかというものがあります。
学校は様々な思いを持って生徒が集まります。勉強を頑張りたいと思っている生徒もいれば、部活動を一生懸命やりたいという生徒もいます。また、友達に会うのが楽しみだったり、学校行事に参加したいからという生徒もいるでしょう。学校に対して思い入れが無くても、高校位は卒業しておいた方が良いかなという気持ちで通っている生徒もいると思います。
しかし、塾の場合は学力をつけるという目的がなければ通う動機がありません。勉強をやる気がないし、先生の言うことを聞きたくないけれど塾に通うというのは本来あり得ないはずです。
ですから、学校で指導をする場合はやる気がない生徒の面倒も見なくてはなりませんが、当塾ではやる気がない生徒の指導はお断りします。
やる気は無いけれど塾でどうにかしてほしいというのは、こちらから見ると身勝手に映ります。
5月29日 昨日よりも今日という気持ち
中学校までは順調に勉強を進めてきていても、ほとんどの生徒は高校の勉強で苦労します。
特に数学は中学までと難易度が全く違うので、中学まで得意であった生徒ほど自信を打ち砕かれるかもしれません。
そうしたときに、どのように行動するかで未来が変わります。
結論から言えば、出来るようになるまで努力を続けるしか無いのですが、途中で諦めてしまう人が少なくありません。
その理由は、短期間で目に見える結果を求めているからではないかと思います。
上手くいっていないときは、最終的な目標と現在の自分を比較するのではなく、目の前のやるべきことを実行して、昨日と今日の自分を比較しましょう。
もし、自分が今何をやるべきなのかを見失っているのなら、何をするのかを考えなくてはなりません。
高校でも大学でも、社会に出てからも、常に順調に行くということはほとんどありません。
自分がやるべきことを考えて実行する経験を積むことが、より大きな困難を乗り越える力になると思います。
5月30日 基礎の力
現在、高校3年生の理系は数学Vの積分法の授業を行っています。
あと少しでこの分野が終了となるのですが、前回までの3回の授業では進めるのを止めて計算練習をさせていました。
この分野の計算は型にはまったものが多いので、数学のセンスだけでは対処が難しく、経験と慣れが必要になります。
計算練習前の授業では、進めようとしても初歩的な計算で詰まってしまって説明がスムーズにいきませんでした。
今日の授業では計算の部分で詰まることが無かったので、新たに学ぶところに焦点を当てて理解を深めることが出来ました。
こうしたことは、この分野や数学だけに限ったことではありません。数学であれば計算力をつける、英語であれば単語力をつけるという基礎の力が無くては、新しいことや難しいことを身につけようとしても効率が悪くなってしまいます。
基礎的な練習の繰り返しを嫌う生徒は少なくありませんが、学力をつけるために最も効率が良い方法は地道な作業の繰り返しだと思います。
5月31日 こっちの台詞
受験関連のニュースを見ていて思ったことを少し書きます。
2020年度から大学入試で英語民間試験の活用が始まる予定ですが、現在82の国公立大学のうち、北海道大学、東北大学、京都工芸繊維大学の3校は2020年度は利用しない方針です。
ということは、残りの79の国公立大学は民間試験を何らかの形で活用するということなのですが、大きく分けると次の3タイプに分かれています。
@ 出願資格として用いる
A センター試験に加点する
B @,Aの両方
ただし、高校が発行する英語力の証明書を提出すれば民間試験の代わりに出願資格とするので、実際には活用しないことと同義としている大学もあります。
また、本来その大学を受験する生徒であれば合格する点数を出願資格にする大学が多く、更に、4割以上の大学では合否判定に用いない方針となっています。
ここまでは以前に書いていたのですが、今日見たニュースは、79の大学のうち6大学で活用はしようと思うが、どのように活用するかをまだ決められないというものでした。
その理由は「障害者に対する配慮がどのようにされているのか不明」「公平性が担保されるかどうかが不明」となっており、これに対して文部科学省の解答は「受験生の立場に立って早急に積極的な情報提供をするように」というものでした。
報道にバイアスがかかっている可能性はありますが、これまでの経緯を見ていると、どちらが受験生の立場に立って考えているのだろうと思わされてしまいます。